テヘランでロリータを読む

テヘランでロリータを読む

図書館本ヨミカケ。テヘランでロリータを読むお話。




「大学には門がふたつあり、男性は正門から入るが女性は裏門から入ることになっている」とか、「りんごの食べ方がなまめかしかったから注意された」とか、ちょっと想像の域を超える。そんなこと言う人はどんだけ心が小さいのだろうか。


最近猫の首にカラーを巻いていることで思ったこと。
体の自由を奪うということは、同時に精神的な自由も奪うことになる。カラーをされた猫は、はじめ暴れまくってくるくる回ったり後ろに後ずさったりしていたが、最終的に疲れ果ててほとんど動かなくなった。湯たんぽの上で石のようにじっとうずくまる姿は言いようもなく悲しそうだった。顔を覗き込むと猫はじっとこちらを見て、左目だけじわっと涙を流した。

あとしんどかったのは、手をかまなくなったこと。ひざに乗っていてわたしが体勢を変えると怒って噛むことがあるのだが、それがなくなった。怒るエネルギーをなくしたのだと気づいて愕然とした。



そう、話をもとに戻すと、女性に肌を隠させることを強要する行為というのは、精神を抑圧することなのだ。心は誰のものでもないのに、そこまでして囲いこみたい人がいるのだ。信じられないが。