月曜日

月曜日、晴れ。少し寒い。










そんなに持てない話と想像力



 もう地震の話なんかしたくないという方がいると思うけれど、備忘録として書いておこうと思う。
 今回の経験で学んだことはいくつかあるけれど、そのうちの二つについて。





 ひとつ。手は2本しかない。
 当たり前だがそんなにたくさんの荷物を持つことはできない。片手にキャリーケースに入った猫、もう片手には…、猫を選択してしまった以上、荷物はおのずと決まる。つまりはキャットフードだ。コート、鍵、携帯電話(地震直後は家の中で紛失、一時帰宅時に発見)、かろうじて帽子。そのくらいしか持てない。キャットフードなんかどこでも買えるはずなのだが、実際のところ、フードが買える近所のドラッグストアはしばらく開かなかった。
 今後は緊急避難用に身の回りの物をよく考えて準備しておかなければならない、と思うのだが、結局のところ猫がすでにけっこう重いので、そんなに持てないということが分かった。そしてランドリーバッグは猫の動きを封じるのに非常に役に立つことも分かった。何度か動物病院に連れて行くのに使ったが、今回それが実証された(実証されないほうがよかったのだが)。
 
 ふたつ。想像力というのはあんまりあてにならない。
 これは自分の話なので今日は「いや、想像力の翼はすばらしいよ!」という話はわたしにはしないでほしい。
 津波で家族を失った人、学校ごと流された子供たち、見つからない家族を探して避難所をはしごする人たち、そういう映像をニュースで目にする。しかしわたしはそのどれも経験したことがないので、「つらいだろうな」と思うけれど、実感することができなかった。ところが先日、母校の校舎が地震で被害を受けて、生徒が体育館で授業というニュースを聞いて、体の内側から何者かへの怒りが込み上げてきた(実際の学校名などはコメントしないでくださいね)。
 結局のところ、自分に置き換えることができない事柄に対して、内側からの感情は湧き上がってこないのだと思った。避難所で水が出ないという話を聞くと自分の身に置き換えることが可能だが、電気が来ないということになると置換不能になる(断水はしたが電気・ガスは生きていた)
 ということで、最近自分に置き換えて考えることができる話題といえば、被災地での動物レスキューである。地震直後、公園や公民館に避難後、小学校の体育館に避難した。短時間だったが、体育館で自分の体のうしろになんとなく猫の入ったキャリーケースを隠した。あの肩身の狭い感じはなかなか忘れられない。相手の身になって考える、ということは非常に難しい。







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