さりながら

さりながら

「梅雨の世は露の世ながらさりながら」という小林一茶の俳句。俳句というのは、ヨーロッパで結晶化したポエジーのようにとらえられているが、どうもそれは違うんじゃないか、みたいな文章があった(間違っていたらごめんなさい)。一茶の俳句は非常に個人的で直接的だ。
著者は何かを失ったあとの人生を送っている。なんだかそれは、昔アメリカの飛行機乗りの奥さんが書いた言葉に似ているような気がした。日本語の「さようなら」という言葉は、「左様ならば、(別れよう)」という日本の感覚、グッドバイとは違うニュアンスの言葉だ、のような文章。

適当な文章でほんとうにすみませんが、「さようなら」という言葉がわたしは好きだ。

昨日観た『千と千尋の神隠し』の主題歌、「ゼロになるからだ」の歌詞は不思議だ。ゼロになるという感覚。ゼロになるという感覚。さよならのあとの静かな感覚。