火曜日

火曜日、雨のちくもり。


土曜の夜から、関東に移動し、ウィークリーマンションで生活中。オーナーさんのはからいでビビネコも一緒。



お昼ごろ、駅前まで歩き、昼食。カウンター席の横で、ウィンドブレーカーにマスク、リュックといういでたちの女性が、つかれきった表情で食事をしていた。勝手に避難民か、と想像をめぐらす。


駅の人にインターネットカフェの場所を聞いて、ずんずん歩く。





地震原発のことが気になるので、テレビをちょくちょく見る。都内のスーパーでかなり商品が消え、静岡あたりまで買出しに行く人が、というのを見て、「え?そこまでないの?」と思った。

関東に来て思ったことは、地震の目に見える被害があまりないのに、ガソリンスタンドに100台くらいの列とか休業の札が目立つことだ。そして計画停電

東北にいたときは、「あんなに揺れたのだから、仕方ない」と思っていた。近所の古いビルは一階が崩れたし、自宅マンションの駐車場はばりばり地割れしているし、給水所には途方もない人の列だし。水道は出ないし。公衆トイレはすごいことになっているし。

なのにここは、電気屋さんのテレビが全部落ちて壊れているわけでもないし、地割れもしていないし、両手に給水袋を持っているわけでもないし、壁にヒビが入っているわけでもないのに、ガソリンがない。
ある意味、不気味さを感じる。

昨日、あるお店の店員さんが、「放射能の雨に当たっちゃったよう」と言いながら店に入ってきた。こういう会話ができるうちは、まだ安心できるのかもしれない、とふと思った。





東北を脱出、コンビニでトイレをお借りして、水が流れ、清潔なトイレで用を足したとき、妙に感動した。
コンビニでおにぎりが売っていることに感動し、高級食材を使ったリッチおにぎりを買ってしまった。
知人宅でお風呂を借りたとき、ああ、風呂ってすばらしいと思った。
しかし何回か経験するうちに、それが「ふつう」になる。なんだか不思議だ。すぐにいろんなことを忘れてしまうのだ。



ビビネコが丹念に毛づくろいをしていたり、腹を出してぽてっと倒れてごろごろしたりするのを見ると、「リラックスしてきたなぁ」と思っていた。
昨日の夜、ふと、それはリラックスしているからそうするのではなく、リラックスするためにそうしているのでは、と思うようになった。自分を落ち着かせるために体の毛をなめ、安心するためにゴロゴロ言う。なんだかそんな気がしてきた。わたしもうかうかしていられない。


テレビで同じCMばかりが流れている。妙にイライラしてくる。金と欲にまみれた商業ベースのCMが見たい。
外部被爆を防ぐために、「玄関の外で服を脱ぐ」「髪の毛を洗う」などというアドバイスがされた。水がない地域が多いのだから、水なしでやれる対策(100パーセントでなくてもいいから)を教えてほしいと思うのはわたしだけなのか。


わたしの町の小・中学校はしばらく休校して、春休みに入るそうである。